2018/1/202/17(土)・18(日)「TERROR テロ」演出家・出演者からのコメントと舞台写真が到着しました!
2/17(土)・18(日)阪急 中ホールにて上演いたします「TERROR テロ」演出家・出演者の皆さんからのコメントと舞台写真が届きました!
皆さんの並々ならぬ想いをぜひご一読ください!
■コメント(クリックでご覧いただけます)
研ぎ澄まされた作家シーラッハの強靭な台詞と、そこに宿る重い問いかけに導かれ、余分なものを全てそぎ落とした、人間と言葉だけが息づき・ぶつかり合う、まだ誰も見たことのない舞台が誕生しました。これを実現するため、過酷な要求に応えてくれた俳優陣と、音響や照明、美術など舞台上にある全ての効果に繊細かつ高い感性で臨んで下さったプランナーの方々に心から感謝しています。
劇場での稽古を介し、改めて思ったのは『TERROR』における観客の重要性です。作品を完成させるには観客が席に着き、参審員として裁判に参加して下さることが不可欠。『TERROR』における一番の主役、結末を左右し、作品の持つ意味合いを変える力を持つのは観客ですし、俳優たちとのエネルギーの交感も常の作品以上に行われるはず。そこで生まれる空気や熱がどれほどのものになるのか、最も楽しみにしているのは演出家である私自身かも知れません。
弁護士であるシーラッハの作品に飾り立てた表現はなく、けれど十分に吟味され、鋭く研ぎ澄まされ言葉は無類のリアリティを持って私たちに迫ってきます。テロという不条理な暴力、大量殺人、法と正義の矛盾などという日常からは遠いはずのそれらが、作品の進行と共に、劇場に集まる人々の真実になっていく。
そんな“演劇を越える演劇”を、お客様に体験していただけたら幸いです。
年明け早々おつき合いいただくには、『TERROR』に込められた想いとテーマは、少々大きく、重きに過ぎるものかも知れません。何せ、ドイツの辣腕弁護士にして小説家であるシーラッハ氏が、長年温めてきた題材を初めて戯曲にしたためた作品です。その重厚壮大さに“あてられる”お客様がいらっしゃるかも知れないことを、先にお詫びしておきます。
けれど劇中で扱う「テロ」は遠い外国のことではなく、この日本にとっても、すぐ間近に迫る脅威だと私には思えるのです。これは私たちが自身の想念の引き出しの中に入れておくべき事実でしょう。特に、私とは違い、これから先の未来を長く生きる世代の方々にとっては。
人間は有史以来、時代の転換点のたびに誤った判断を下し、政治家も我々庶民も共に、雪崩を打つごとく戦禍の底へと落ち込むあやまちを犯して来ました。いざ、事が起きてからでは遅いのです。私たちには手を取り合ってあやまちに立ち向かうというような、上等なことはなかなかできません。ならば誤った判断を遠ざけるべく、少しだけ「知の武装」をしておいたほうが良いのでは、と思うのです。
不特定の膨大な情報が流れ込んでくる種々の報道やネット環境とは違い、演劇は精査された知識と思索に対して開かれた「窓」です。普段は目を背けがちな、世界と人間の抱える問題について劇場でひと時、私たちと一緒に心を傾け、知の武装をする。
そんなお客様方のご厚意に、深く感謝致します。
私が演じる裁判長は台詞量こそ多いものの、固有名詞さえありません。本作品の主役は事件そのもので、主体は参審員であるところのお客様です。裁判長は主従で言えば従の役割であり、証言を引き出す、参審員に結論を導いてもらう、という役回りと心得て客席を意識しながら稽古を重ねました。舞台上の人物たちとのやりとりはあるものの、他のお芝居と異なり、登場人物が話を聞かせている相手は客席の参審員なのです。でも、稽古場で意識していたとはいえ所詮そこにあるのは壁ですから、劇場入りして客席空間を前にしたとき、自分の中でとてもしっくり来て、ようやく芝居のあてが出来た気になりましたね。この感じはこれまでには珍しい経験でした。
作品の最大のポイントは、芝居をご覧にいらしたお客様が有罪か無罪かの判断を最後に下さなければならないという点。登場人物たちの台詞や仕草の一つ一つが、有罪に傾いたり無罪に傾いたり、見る側の人の気持ちを変えていくのを、本物の裁判に参加している気で楽しんでいただければと思います。
これまでの自分の演劇経験の中では最高に難しい作品でした。若さゆえの、といった役柄がこれまで多かったのですが、今回のコッホ少佐は極めて優秀な軍人という設定ですし、声を荒げたら負け、という一発勝負の裁判の中で、毅然と対応しなければならない役です。厳しい質問の数々に、誠実に、かつ毅然と回答しながら、心中は動揺がありますし感情も動きます。演出の森さんには、水鳥たちがすいすいと華麗に泳いでる時のせわしない脚の動きと同じで、顔には出さなくとも実はかなり心では動揺しているものだと言われました。それをコッホ少佐は見せないようにこらえているわけで、感情を表したらダメな役というのは本当に大変でした。。。(笑)稽古では、じっと手を組んでいた腿のあたりに手の跡がついてしまうくらい手汗をかきました(苦笑)
客席の皆さんは芝居を観ているのか、参審員として本物の裁判を観ているのか、しばしば錯覚する局面があるはずです。実際の裁判に参加しているような緊張感を是非楽しんでいただきたいと思います。自分としては今回の作品に参加できたこと、今回いただいた役は大きなチャレンジなので、全力で明日からの本番と向き合っていきます。
稽古の段階から常に、作品の終幕を決める参審員=お客様の存在を意識するよう心がけていましたが、プレスの方々をお迎えしたゲネプロ上演で改めて、『TERROR テロ』においてはお客様が私たち俳優にとっての、最強のパートナーになって下さるのだと深く納得することができました。
場面によっては客席にも照明が灯り、語り掛ける相手も共演者ではなく参審員の皆さんになる。これは私にとって初めて体験するお芝居の形で、とても緊張もしますが、同時に劇場全体を包み込むような、大きな一体感を感じる瞬間もあるのです。お客様の中には、「何故こんな緊張感の高い場所に来てしまったんだろう! こんなに責任重大な役割を任されるなんて!?」と当惑される方もいらっしゃるかも知れません。でも、ここで私たちと一緒に過ごしていただく3時間弱の時間は、きっと、劇場を出ても様々に想いを巡らせていただくことができる、たくさんの“お持ち帰り”がある時間だと思うのです。
そのためにもマイザー夫人という役に、自分が今できる事すべてを託し、彼女の心情、そこに宿る哀しみと苦しみ、強い意志に日々近づけるよう演じ続けたいと思っています。
裁判の一部始終を描き、その評決をドイツの裁判には欠かせない参審員に見立てたお客様に委ねる。『TERROR』は観客の存在が不可欠の舞台ですが、劇場での稽古を経て、作品にとってお客様が果たされる役割の重要さに、さらに感じ入りました。この法廷をつくり、色づけて下さるのは、お客様に他ならない。毎回、作品をどのように感じ、見守って下さるのか。公演の数だけ劇場で醸し出されるであろう『TERROR』独自の「空気」が、今から楽しみでなりません。
空軍の参謀将校であるラウターバッハは、裁判という駆け引きの場に軍の威信を背負い、部下を救いたいと願って臨む男。登場人物の中でも「負けられない!」という想いが一際強く、その分、裁判長や検察官と交わす言葉のやりとりにも、強い緊張感とスリルを感じていただかなければと思っています。しかも、事件の経緯をお客様が初めて知るのは、ラウターバッハの証言によって。戦いの口火を切る役割にはプレッシャーを感じますが、常に軍人として危険に身をさらし、覚悟を持って生きているという一般の方々とは違う軍人の矜持やガッツを忘れずに、舞台に立ち続けたいと思っています。
不器用な私に、台詞の一語一音まで緻密な演出をつけて下さった森新太郎さんや、橋爪功さんを始めとする頼もしい共演陣に支えられ、稽古の日々を走り切ることができました。今回は検察官という、特に普段の私の中にはない専門性や言葉を有するお役を演じなければならなかったので、人一倍稽古中に恥もかきましたし、周りの皆さんを不安にさせたことも多々あったと思います。けれどそれに倍する学びや糧を私自身はいただきました。少し照れくさいけれど、学生時代に社会の様々な問題について友人たちと飽くことなく語り合った、あの時の「熱」を取り戻せたようにも感じています。
劇場とは本来、束の間日常を忘れ、心を解放するために足を運ぶ場所。けれど『TERROR』はお客さまに、今この瞬間も世界中の人々を脅かしている政治的な問題、「命」や「罪」についての深い思索と大きな決断を迫ります。面白さや楽しさだけの時間ではありません。でもだからこそ、お客様と私たちの間には、この思考と想像を共有したことで壮大なドラマの伽藍が築かれ、終幕には互いの健闘を讃え合う拍手が劇場を満たすと思うのです。
この舞台はきっと、そんな奇跡のような時間を生み出してくれると信じています。
■舞台写真(撮影:引地信彦)
TERROR テロ
2018年2月17日(土)・18日(日)各日2:00PM
兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
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兵庫県立芸術文化センター