ロシアにバレエが移入されたのはフランスでもバレエが盛んだった17世紀のことですが、初めてロシアにバレエ学校が開かれたのは1738年でした。以降、アンナ・イヴァノヴナ女帝を初めとする時の権力者の庇護を受けてロシアのバレエは大きく発展しました。ロマンティック・バレエの黄金期には、ファニー・エルスラーやマリー・タリオーニなど歴史に残る名バレリーナも残らずロシアを訪れ、ロシア・バレエはフランスに勝るとも劣らぬ繁栄を見せました。
続いてロシアのバレエが二度目の黄金期を迎えるのは19世紀のことでした。「海賊」(1863)「ドン・キホーテ」(1869)「バヤデルカ」(1877)などを振り付けたマリウス・プティパがピョートル・イリイチ・チャイコフスキーと出会い、そこから“チャイコフスキーの三大バレエ”と呼ばれる「眠れる森の美女」(1890)、「くるみ割り人形」(1892)、「白鳥の湖」(1895)といった現在も(時代による変化はあるとはいえ)生き続け、バレエの代表的な名作が生みだされました。
この黄金時代を支えた名ダンサーとしては、パーヴェル・ゲルト、ピエリーナ・レニャーニ、マチルダ・クシェシンスカヤ、アンナ・パヴロヴァなどがあげられます。