バレエ・リュスの再結成を望む観客、ダンサー達からの声を受け、ド・バジル大佐とルネ・ブルムによって結成されたカンパニーです。バレエ・リュスの衣鉢を継ぐべく、1931年に結成され、1962年まで活動を続けました。
バレエ・リュスと大きく違うのは立ち上げた時にカンパニーの中心を男性スターではなく、“ベビー・バレリーナ”と呼ばれる13〜16歳のダンサー3人(タチアナ・リャブシンスカ、タマーラ・トゥマノワ、イリナ・バロノワ)を中心に置いたことでしょう。彼女らに加え、ジョルジュ・バランシン、アレクサンドラ・ダニロワといった元バレエ・リュスのダンサーも多数参加していました。
作品としてはバレエ・リュスの活動を通じての人気演目であった『薔薇の精』『レ・シルフィード』『シェエラザード』といった作品に加え、『ゲテ・パリジェンヌ』『赤と黒』、『交響曲第7番』などの交響曲バレエなどを上演しました。
バレエ・リュスを実際に見た人たちには時に低い評価をされたこともあるカンパニーですが、彼らがバレエ・リュスの作品をオリジナルの衣装・美術によって踊りついだために、私たちは現在バレエ・リュスの作品を見ることができることは忘れてはいけないでしょう。
ここではバレエ・リュス・ド・モンテカルロとひとくくりで言っていますが、このカンパニーは数回にわたって分裂を繰り返し、また参加ダンサーもそれぞれを往復しているなど大変複雑な歴史をたどっています。しかしいずれにしろ彼らが1960年代まで活動を続けていたことは今見直されつつあります。